【就職氷河期世代のリアル①】ゆるい大学生活から地獄の就職活動へ

就職氷河期

就職氷河期の入り口で僕は何をしていたのか

甲南大学(関東では日東駒専あたり)の3回生。まぁ、自分でも呆れるほどサボりまくった学生生活を送ってました。成績表を見ては「うわ、まだ半分も単位取れてないやん…」と苦笑い。自他ともに認める“ダメ学生”の見本みたいなものでした。

それでも世の中はそこまで深刻に見えなかった。テレビでは「護送船団方式」とか「政府の銀行介入」とか、ちょっと難しいニュースが飛び交ってたけど、「まぁ自分には関係ないかな」と完全に他人事。大学受験の浪人時代は確かに頑張ったけど、それ以外はほとんど勉強してなかったし、それでもなんとかなってきた。だから、就職だってなんとかなるやろ…そんな甘い考えでいました。

でも、なんとなく空気が変わってきたのを感じていたのも事実。「なんか最近、就職厳しいらしいで」「大手も採用絞ってるって」…そんな噂が耳に入ってくるようになったころ、ぼんやりとした不安が首を締めるように広がっていった。

「そろそろマジでヤバいかも」

真綿で首を締められるって、こういうことかと初めて実感しました。

これまで好き勝手に生きてきたけど、さすがに就職活動くらいは真面目にやらなアカンな。一応できれば名前の通った企業に入りたいし、大企業なんて夢のまた夢かもしれないけど、せめて「おっ」と思われる会社に入りたいなって思ってました。

「よし、これまでの分を取り返す勢いで頑張ったらなんとかなるやろ!」

そう、何の根拠もない自信だけは一丁前だったんですよね。僕みたいな学生、当時はたくさんいたと思います。でもそのすぐ先に待ち構えていたのは「就職氷河期」という、あまりにも冷たい現実でした。

2000年卒、つまり僕の世代は、戦後最悪の有効求人倍率を記録した世代。求人倍率はなんと0.48、1人の求職者に対して、1件の求人すらないという、かつてない厳しい状況でした。

今思えば、あのとき「いけるやろ」なんて軽く思ってた自分を全力で叱りたいです。でも、そのときは本当に知らなかった。自分が、これから長い間「就職氷河期世代」と呼ばれることになるなんて。

そんな中でも、自分なりに希望を見つけようとしていたのが「情報系の仕事」でした。

経済学部ではあったけど、情報系の授業も履修できたので、当時流行り始めていたWindows 95を使った授業を受けたり、ExcelやWordを使いこなす実習なんかがあって。「へぇ、パソコンってこんなに色んなことができるんや」「インターネットって、マジで世界を変えるかもしれんな」と、何か直感的に“これからの時代の鍵になるのはITや!”と感じたのを覚えています。

就職活動でも、自然と情報システム系の企業を調べるようになりました。すると、大手企業の名前がついたIT子会社がいくつもあることを知って、ちょっとテンションが上がったのを覚えています。

たとえば、「コベルコシステム」。神戸製鋼が親会社で、なんかカッコいい。あと、「キャノンITソリューションズ」も気になりました。キャノンって聞くだけで一流っぽく感じるし、「こんな会社に入れたら最高やなぁ」なんて、実力も知らずに勝手に夢をふくらませていました。

もちろん、そんなに簡単な話ではないわけですが、それでも何かしらの「希望」があったんですよね。情報系なら、まだ間に合うかもしれない。自分でも食い込めるかもしれない。そう信じて、当時の僕は就職活動を始めたんです。

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