1999年の春。
世間はIT革命の風が吹き始めていたが、大学4年生だった私は、まさに「就職氷河期」の渦中にいた。
当時の有効求人倍率は1.0を大きく割り込み0.48、まるで就職先など存在しないかのような厳しさだった。
流石に大企業への応募は無理がある――
そう気づくまでに、それほど時間はかからなかった。いくつもの企業にエントリーしたが、結果は全敗。一社たりとも面接には呼ばれず、ただ「お祈りメール」ばかりが届く日々。
気がつけば4月も終わり、5月に突入しようとしていた。
このままではまずい――。
頭の中で鳴り響いたのは、ドラクエの冒険音楽。「レベル1でキラーマシンに挑んでいた」ようなものだった。装備も経験もないまま、強敵ばかりに突撃していたことにようやく気づいた。
ここでようやく、自分の本当にやりたいことに目を向けることにした。
目指すのは、システムエンジニア。
なぜコンピュータか?――その理由は明快だった。
高校時代に登場した「Windows95」。あの革新的なOSが世に出て、インターネットが誰でも使えるようになったとき、私は直感した。
「これは、世の中が大きく変わるぞ」と。
メールが使える、Webサイトが見られる。パソコン1台あれば、世界とつながれる。
そんな未来にワクワクした。だからこそ、これからはプログラミングができる人間が活躍する時代になると強く思った。
この時、ようやく「自分が何をしたいのか」が明確になった。
そして志望先も絞り込んだ。
キャノンITソリューションズ、コベルコシステム、富士通系子会社、NEC系子会社、オービック、新日鐵ソリューションズ――いずれも一流大企業ではないが、技術力や社会的信頼は高く、自分がなりたい姿にも近い。
「準大手なら内定もらえるやろ」
そんな甘い期待を胸に、エントリーしまくった。
しかし、現実はまたしても「惨敗」。
ただ、少し変化もあった。企業説明会には参加できるようになり、書類もある程度は読んでもらえている様子。ようやく「就職活動している感」が出てきた。
けれども、どこからも「面接に来てください」の連絡は来ない。
「え〜……このレベルでもアカンのか……」
そんな中、コベルコシステムの説明会で、私は思い切って行動に出た。
会場で直接、人事の担当者に声をかけて、自分を売り込んでみたのだ。
すると、相手の反応は予想以上に良かった。手応えはあった。
「これは、もしかしていけるかもしれん」
君のような人材は非常に優秀で、例年であればぜひ採用していたと思う。
ただ、今年は説明会こそ開催しているものの、実は採用計画そのものがゼロなんだ。
申し訳ないが、諦めてほしい。
「……え? そんなことあるんか?」
愕然とした。
せっかく人事の目にも止まったのに、そもそも採用枠が存在しないという事実。まさに“詰み”である。
当時は「こんな理不尽な世の中があるのか」と驚いたが、同時に、妙な納得感もあった。これが理由なら、自分が落ちたのも無理はない、と。
そしてこれは、他の企業でも起きていたことだった。
表向きは「説明会実施中」「エントリー受付中」と言いながら、裏では「実質採用ゼロ」というケースが散見されたのだ。
そんな裏事情に触れるうちに、だんだん気づき始めた。
これは、自分の能力が足りないのではなく、「ゲームのルールそのものが狂っている」のでは?
そう思うと、逆に気持ちが軽くなった。
もちろん、「就職できなかったらどうしよう」という冷や汗は常に流れていた。
でも、そうした情報を得るたびに、「よし、じゃあ次だ」と前向きに切り替えられるようにもなっていた。
確かに、自分が落ち続けている一方で、内定をもらっている人もいる。
それでも、「自分にもまだチャンスはある」と信じて活動を続けた。
結局、志望していたこの“ミドルクラス”のIT企業からは、一社も面接を受けることはできなかった。
そして、5月が終わろうとしていた――。
今、振り返って思うこと
あの春。絶望の中で見つけた自分の「やりたいこと」が、その後のキャリアの礎になったのは間違いない。
もし順調に大企業に決まっていたら、私は「本当にやりたいこと」に気づくことなく、流されるまま社会に出ていたかもしれない。
就職氷河期は、たしかに厳しい時代だった。
けれどその厳しさが、自分自身を掘り下げ、未来を真剣に考える機会を与えてくれたのだと思う。
あの頃の自分に、もし一言かけられるなら――
「諦めんな。いつか、この経験が必ず役に立つ」と伝えてやりたい。
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