就職活動といえば、「適性検査」「筆記試験」「SPI」などを思い浮かべる方も多いと思います。これらは一見すると公正な選考手段のように見えますが、私が就職活動をしていた2000年前後、いわゆる「就職氷河期」と呼ばれる時代には、実態としては企業側が応募者を落とすための“便利な理由”として使われていると感じる場面が多々ありました。
表向きには「公平」でも、実態は……
当時はまさに“買い手市場”。一つの求人に対して何百人という学生が応募してくるのが当たり前の時代でした。その中で、企業は選考の効率化を図るために筆記試験を導入していたわけですが、本音としては「大学名や学歴である程度ふるいにかけたい」というのが実態だったと思います。
とはいえ、さすがに企業側も「○○大学だから不採用にしました」とは言えませんよね。そこで便利だったのが「筆記試験の結果が悪かった」という理由。これなら応募者に対しても角が立たない。要するに“建前”として使えるツールだったわけです。
当時、私自身も数多くの筆記試験を受けました。数えるのも面倒なほど、本当にたくさん受けました。その中には「これは満点近く取れたな」と自信を持っていた試験もありました。例えば、阪急系の情報システム関連企業の試験では、「これは手応えあり」と思っていたのですが、結果は不採用。
逆に、体調が悪くてほとんど何も書けなかったような試験でも合格したことがありました。1日に複数社の試験を掛け持ちしている時期だったので、そんなアンバランスな結果が頻繁に起きていました。「あぁ、なるほどね……」と、そのとき感じたものです。
もちろん、すべての企業がそうではないと思いますし、筆記試験自体が無意味とは言いません。基本的には応募者の能力や知識を測るためのものなのでしょう。でも、実態としては「それっぽい理由をつけて落とすための手段」に使われるケースもあったというのが、当時就活をしていた人間としての実感です。
今でも忘れられない面接体験
筆記試験だけでなく、面接でも印象的だった出来事があります。中でも強く記憶に残っているのが、大同生命での面接です。
そこでは、明らかに面接官が意図的に応募者をイライラさせてくるような場面がありました。わざと挑発的なことを言って、こちらを怒らせようとしてくるのです。そして、怒りの感情を見せると「あなたは仕事でもお客様に怒らずに対応できますか?できないよね」と言ってくる。
当時の私は「いや、そんなレベルの高い対応ができる学生なら、そもそもこんな企業には来ないだろう」と内心でツッコミを入れていました(笑)。思考力や発想力よりも「その場で感情をコントロールできるか」という点で判断されるのだなと感じましたし、「この面接って意味あるのかな」とも思いました。
「学生なんて所詮…」という時代の空気
改めて振り返ると、あの頃は本当に“学生の扱いが悪かった”と感じます。企業側には「学生なんてまだまだ未熟なんだから、こちらが一方的に判断しても問題ないだろう」といった空気があったように思います。
また、就職氷河期という時代背景もあり、学生の数は多く、求人の数は少ない。企業にとっては選び放題だったわけです。その中で、学生がどう感じようが、どう努力しようが、「採用しない」という判断が簡単に下されるような状況でした。
そんな環境で就職活動を続ける中で、自然と「企業を信用しない」「ロイヤリティ(忠誠心)は無意味」という考えが自分の中に生まれてきました。企業は学生に忠誠を求めますが、企業側は簡単に学生を切り捨てる。それが当たり前のように行われていた時代だったのです。
多くを学び、多くを疑った時期
とはいえ、ネガティブな経験ばかりではありません。多くの企業に応募し、多様な業種・業界の情報を調べ、実際に足を運んで面接を受けたことで、度胸や経験値は確実に身につきました。
今振り返ると、「世の中を疑うきっかけ」や「物事を冷静に見る目」が養われたのは、この時期だったように思います。良くも悪くも、就職活動というのは人生において大きな学びの場だったのかもしれません。
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