【就職氷河期世代のリアル⑦】見極めよ、要注意ブ○ック企業!

就職氷河期

2000年前後、いわゆる「就職氷河期」と呼ばれた時代の真っ只中、私も例外なく、厳しい就職活動に明け暮れていた。大学卒業を間近に控えながらも、内定どころか、希望する企業の説明会すら満足に参加できないという日々。気がつけば7月。ようやく就職活動にもある程度の慣れが出てきた頃だった。

「東京コンピューターサービス」との出会い

そんなある日、ふと目に止まったのが「東京コンピューターサービス」という会社だった。名前からして、何やら最先端のIT系企業のような印象を受けたし、パンフレットに記載されていた従業員数も数百人規模と、当時の自分にとっては魅力的に映った。「これはもしかすると“当たり”かもしれない」と、軽い期待を抱きつつ、説明会に足を運んだ。

説明会の終盤、流れのままにその場で面接が始まった。今で言えば“即席選考”のような形だったのだが、当時はこうしたスタイルも珍しくなかった。順番待ちの間、配布された会社案内を眺めながら、自分なりに気になる点を探っていた。そこでふと、あることに気がついたのだ。

違和感の正体

それは、「売上高」と「従業員数」の比率だった。単純に割り算をしてみると、社員一人あたりの売上が、あまりに少ないのではないかと思ったのだ。そこから連想したのは、給料・福利厚生・税金・オフィス家賃・パソコンのリース代……。企業として必要な固定費をざっと計算してみても、「これで本当に社員にまともな給与が支払えるのだろうか?」という疑念が頭をよぎった。

面接を待っている間にも、その疑問がどんどん膨らんでいった。会場の空気も、どこか張り詰めていて、社員の服装もややくたびれているように感じられた。私の中で、これは「やばい会社なのでは?」という不安が膨らんでいった。

思い切って聞いてみた

いよいよ自分の番になり、面接官の前に座った。やや緊張しながらも、私は思い切って、その疑問を率直に投げかけてみた。

「売上と従業員数の比率を見たのですが、社員一人あたりの売上があまり高くないように思えて…これでは社員に十分な給与が支払えないのではないでしょうか?」

面接官は少し驚いた様子を見せつつも、「安心してください」と笑顔で答えてくれた。しかし、具体的な数字や根拠を示すことはなかった。その時点で、「この人、もしかして一度も計算したことないんじゃないかな」と、心のどこかで感じてしまった。

突然の“呼び出し”

面接を終えて、「まあ、とりあえず終わったし帰ろう」と思っていた矢先、受付の方から「ちょっとお偉いさんが呼んでいる」と告げられ、別室へ案内された。

そこに待っていたのは、管理職と思われる年配の男性だった。どこかピリついた空気の中で、彼は静かにこう切り出した。

「なぜ、あのような質問をしたのか?」「その情報を聞いてどうするのか?」「それだけで会社を判断するのか?」

一気に詰め寄られた私は、一瞬たじろいだが、腹をくくって返答した。企業運営に必要なコストの内訳、売上と人件費の関係、そしてそれらが給与にどう影響するのか――自分なりに調べていた知識をもとに説明を始めた。

すると、相手は次第に黙り込み、部屋の空気が微妙なものに変わっていった。私としては、ただ冷静に疑問を解消したかっただけなのに、結果的には“論破”するような形になってしまった。非常に気まずい空気の中で、その場は終了した。

結果とその後

もちろん、結果として私はその会社から内定をもらうことはなかった。しかし、それを知った時、不思議と落ち込む気持ちはなかった。むしろ、ほっとした自分がいた。「あのまま内定をもらっていたら、どんな働き方になっていたのだろう」と思うと、正直、少し怖かった。

その後、インターネットが普及し始め、掲示板や口コミサイトなどが充実してくると、「あの会社、実は業界内でもちょっと有名だったらしい」という情報を目にすることがあった。自分は決して優秀な学生ではなかったけれど、「見る目」だけは少しあったのかもしれない。そんな風に、今ではこの出来事を、懐かしくも少し笑える“珍事件”として記憶している。

就職氷河期という時代

就職氷河期は、本当に厳しい時代だった。大学を出ても仕事がない。企業の採用意欲は低く、採用枠は極端に狭い。たとえ内定をもらっても、それが本当に「安心できる会社」なのかは、見極める術がなかった。

そんな中で、あの時の“違和感”に気づけたこと、そして疑問を口にできた自分を、今では少し誇らしく思う。あの経験があったからこそ、「企業を見る目」や「経営の仕組みへの興味」が芽生え、後の人生にも少なからず影響を与えてくれたように思う。

就職活動は、時代によって大きく様変わりする。しかし、どんな時代でも「自分で考え、疑問を持ち、声に出すこと」は、決して間違いではない。むしろ、自分を守るために必要な行動だ。

あの夏の一日を、今でも私は忘れることができない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました