▪️就職氷河期とともに見た富士通・日本電気の栄光と変遷 〜盛者必衰のことわりを想う〜

企業分析

はじめに

就職氷河期。

それは1990年代後半から2000年代初頭にかけて、大学卒業生たちが非常に厳しい就職活動を強いられた時代でした。

私もその時代の渦中にいた一人です。今でも鮮明に覚えています。希望と緊張が交錯する中、私は当時勢いに乗っていた富士通や**日本電気(NEC)**といった大手IT企業に、いわば“記念受験”のような気持ちでエントリーしました。

この二社は、当時まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。いわば“神”のような存在でした。企業説明会の雰囲気、出てくる社員たちの自信に満ちた姿、そして会場に集まる学生たちの熱気——それらは、今思えばバブルの残り香と時代の勢いを象徴するような光景でした。

富士通・日本電気の全盛期:売上5兆円超のインパクト

2000年。

この年は、富士通・日本電気(NEC)の両社にとって歴史的なピークだったといえるでしょう。

• 富士通:売上高 約5.4兆円(2000年度、過去最高)

• 日本電気(NEC):売上高 約5.4兆円(2000年度、過去最高)

この数字が何を意味するかというと、当時の日本におけるIT・エレクトロニクス産業のトップランナーだったということ。そしてその勢いに、多くの就活生が憧れ、夢を抱いていたのです。

私自身も、説明会に足を運びました。まるでコンサート会場のような盛況ぶり。登壇する社員の方々は「我こそは」とばかりに情熱的に語り、会社の未来に満ちたビジョンを提示していました。

しかし、現実は厳しいものでした。私は富士通・NECの両社に応募はしたものの、あっさりと不採用通知をいただくことになりました。今となっては笑い話ですが、正直、履歴書すら見てもらえていたかも怪しい。あの規模の会社に、あれだけの人数が殺到する状況では、物理的にすべてに目を通すのは不可能だったでしょう。

大学名でふるいにかけられていたとしても、それは仕方ないとすら思える状況でした。

栄光からの変化:25年かけて進んだ“静かな縮小”

時は流れて2025年。

あの頃「神のような存在」として見ていた両社の売上高は、今はこうなっています。

• 富士通:約3.7兆円

• NEC:約3.4兆円

もちろん、これは一概に「衰退」とは言い切れない部分もあります。ビジネスの性質が変わり、事業のスリム化、グローバル化、ソリューション化が進んだという一面もあるでしょう。

しかし、かつてのような「大企業神話」は、もはや過去のものとなりました。今の若者たちが、これらの企業に対して「行きたい」と強く思うかというと、正直なところ疑問です。

今どきの若者が“大企業”を避ける理由

現代の若者は非常に合理的で、情報リテラシーも高く、価値観も多様です。

ネームバリューや安定性だけで企業を選ぶような時代ではなくなりました。

特に、大企業にありがちな以下のような特徴は、若者にとっては魅力とは映りづらいものになりつつあります。

• 年功序列による評価

• 古い上司の固定観念

• 縦割り組織による業務制限

• 自分の裁量で動ける範囲の狭さ

一方で、ベンチャー企業や中小企業では、実力次第で業務の幅が広がり、成果がダイレクトに評価される環境があります。もちろんリスクもありますが、自分のやりたいことを実現できるフィールドとして、魅力的に映るのは自然なことです。

AI時代の到来と企業の変革力

さらに、現在は**AI(人工知能)**が急速に発展し、これまで「人がやっていたこと」が次々と自動化されていく時代です。

こうした変化に対して、大企業の中には「まだ昭和ですか?」と思わざるを得ないような文化や制度が残っているケースも見受けられます。新しい技術への適応が遅れれば、社員のモチベーションは下がり、有望な若者ほど早々に退職してしまうのです。

いくら企業が「改革」を掲げても、旧態依然とした体質が残っている限り、真の意味での方向転換は難しいかもしれません。

まとめ:盛者必衰、時代とともに変わる価値観

就職氷河期の最中、あこがれの対象だった富士通やNEC。

彼らが誇っていた「圧倒的な売上」や「ブランド力」は、今ではずいぶん様変わりしました。企業の姿も、働く人の価値観も、社会の構造も、大きく変わったのです。

最後に、かつて学校で習った『平家物語』の一節を思い出します。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

盛者も、時代の波に逆らえぬ——。

それは企業にとっても、人にとっても同じことかもしれません。

追記:就職氷河期を生き抜いた世代として

厳しい時代を経験したからこそ、自分の軸でキャリアを選ぶことの大切さや、環境に左右されないスキルの重要性を痛感しています。

あの時「祈られた」企業に今も残る未練はありません。むしろ、そこを通らなかったからこそ、今の自分があるのだと感じています。

これからの時代、どこに勤めるかではなく、何を成し、どう生きるか。

それこそが真に問われる時代ではないでしょうか。

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