就職氷河期世代からすると、悲しい現実ですね。

キャリアとは、年齢と共にスキルや責任を増やしながら、段階的に成長するものだ。しかし、氷河期世代はその「第一段」を踏み外した状態からスタートせざるを得なかった。
非正規から始めた人の多くは、次のステップに進めず、転職市場でも評価されない。仮に正社員になれたとしても、それは30代に入ってからだったりする。20代をフルに活かしてスキルを積んだ世代との差は、年齢が上がるごとにじわじわと開いていく。
やがて「管理職に向かない」「部下を持ったことがない」といったレッテルが貼られ、昇進の機会も閉ざされていく。企業側からすれば、若手の方が育てやすく、コストもかからないという理由で、ミドル層の再教育に積極的にはなれないのが現実だ。
そして「自己責任」という言葉が突き刺さる
時代の運に恵まれず、努力しても報われず、それでも「自己責任」と言われる。この言葉は、就職氷河期世代にとって最も心をえぐるものだ。
ネット掲示板やSNSでは、「就職できなかったのは努力不足」「非正規でもやる気があれば正社員になれる」などのコメントがあふれる。確かに、中には這い上がった人もいる。しかし、それはあくまで例外であり、誰もがその道を辿れるわけではない。
一方で、現代の若者には「ブラック企業には就職するな」「初任給は高くて当たり前」「自分に合った会社を選べ」とアドバイスされる。かつては「贅沢を言うな」「仕事があるだけマシだ」と言われた氷河期世代とは、社会の目線そのものが変わっているのだ。
「再チャレンジ」の機会は用意されたか?
政府は過去に「就職氷河期世代支援プログラム」や「正社員化推進プロジェクト」などを打ち出してきた。だが、それが実を結んだとは言い難い。対象人数は限られ、企業側の受け入れ態勢も整わなかった。
また、「40代後半で未経験からの挑戦」は、現実的には非常に難しい。転職市場では「即戦力」が求められ、ポテンシャル採用は若者に限定される傾向が強い。仮に応募しても、書類すら通らないのが実情だ。
報われない世代に必要なのは「共感」と「配慮」
就職氷河期世代は、自ら選んだわけでもない困難な環境の中で、懸命に働き続けてきた。その努力が、報われる機会もなく、ただ「老害」などと一括りにされることほどつらいものはない。
今の若者が恵まれていることを否定する必要はない。むしろ、それを祝福する社会であるべきだ。ただし、それと同時に「恵まれなかった世代」に対する理解や配慮も必要だ。過去の構造的な問題によって生まれた格差に、少しでも目を向けること。それが、より公平な社会への第一歩となるはずだ。
コメント