【就職氷河期世代のリアル⑬】9月、ついに最終面接

就職氷河期

夏の終わりが近づき、蝉の声もだんだんと消え始める頃、私は焦りと不安に包まれていた。

季節は8月の終わり、そして遂に9月へと突入しようとしていた。

就職活動を始めてすでに数ヶ月。

応募した企業は300社、面接に進めたのは30社。

それでも一つとして内定はもらえず、心が折れそうになりながら、それでも諦めずに前へ進み続けていた。

これは、1999年~2000年の就職氷河期真っただ中、当時の私が経験した、ある最終面接でのエピソードである。

書類選考突破、そして最終面接へ

ようやく書類選考と一次、二次面接を突破し、念願の最終面接へと進むことができた。

ソフトウェア開発会社の選考で、ここまでたどり着くのは本当に数えるほどしかなかった。

当時は、バブル崩壊後の長引く不況で、企業は新卒採用を大幅に絞り込んでいた。

特に中堅大学出身者にとっては厳しい戦いであり、数百社受けても一社も内定を得られないことは珍しくなかった。

実は、以前にも一度、最終面接まで進んだことがあった。

しかしそのときは、面接当日に採用中止を告げられるという悲劇に見舞われた。

あの時の衝撃と絶望は、今でも鮮明に覚えている。

だからこそ今回も、面接の内容以上に、

「また何か起きるのではないか」

そんな不安の方が大きかった。

面接は3名同時、そして自己紹介へ

面接会場に到着すると、今回は3名同時面接であることが知らされた。

順番に自己紹介を行い、それぞれが無難に話をまとめていく。

15分ほどが経過し、次は「大学時代に何を学んだか」「ゼミでの研究内容は何か」という質問が投げかけられた。

私は2番手。

話す内容を整理する時間がわずかにあったので、頭の中で必死に考えた。

そこで私は、

• なぜアメリカは栄え、ロシアは伸び悩んだのか

• 資本主義と社会主義の違い

• シリコンバレーの競争力と、ロシアの閉鎖的国家体制

などをテーマに、即興で語り始めた。

もちろん、これはゼミで研究していた内容ではなかった。

むしろ、普段から少し興味を持って読んでいた雑誌記事の受け売りにすぎない。

しかし、意外にもスムーズに話すことができた。

面接官との攻防戦

私が話し終えると、面接官である常務が鋭い表情でこう指摘してきた。

「それは制度の違いではなく、国民性によるものだ」と。

常務は、その後、一方的に自説を展開し始めた。

私は内心、

「本当にそうなのか?」

「いや、それはちょっと偏りすぎでは?」

と思いながらも、ここは反論すべきではないと判断した。

相手の年齢は50代以上、

話しぶりからしても、明らかに「議論を好まないタイプ」である。

ここで必要なのは、

• 適度に相槌を打つ

• 相手の意見を尊重する

• さりげなく褒める

そう判断した私は、

「さすがに鋭いご指摘ですね」

「そこまでの洞察力は持ち合わせていませんでした」

といった具合に、素直に相手の意見に同調する作戦に出た。

これが功を奏し、その後の雰囲気は悪くなかった。

他の2名の受験者の話は、正直ほとんど記憶に残っていない。

それほど私は、面接官とのやり取りに神経を集中させていた。

ソフトウェアの仕事理解を問われて

面接の終盤、

「ソフトウェア開発の仕事をどう理解しているか」

「どんなことを実現したいか」

という質問が飛んできた。

正直、これは難しかった。

なぜなら、当時の私は、

• ソフトウェア開発の具体的な業務内容

• 業界内での専門分野(会計系、購買系、サプライチェーン系など)

について、ほとんど知識がなかったからだ。

ここで下手に知ったかぶりをすると、簡単にボロが出る。

それはこれまでの面接で痛感していた。

そこで私は思い切って、

「御社が扱っているソフトウェアの業務領域はどこにあるのか」

「今後、その分野は成長が期待できるのか」

といった質問を投げかけるスタイルに切り替えた。

この常務は話好きな上に雄弁なタイプだったので、質問をきっかけに饒舌に話してくれた。

私はその説明を真剣に聞きながら、

• 自分が興味を持てそうな点

• 面接でこれまで得た知識

をミックスし、最後に「だからこの業務に携わりたい」とまとめた。

面接を終えて──手ごたえと不安の狭間で

面接を終えた時、

「まぁ、及第点くらいは取れたかもしれない」

そんな感触はあった。

もちろん、これで内定が出る保証はどこにもない。

あとは神のみぞ知る、という気持ちだった。

ただ一つだけ確信していたのは、

「やれることは全部やった」

ということだった。

あの頃を振り返って

今振り返ると、あの時代は本当に異常だった。

求人倍率は0.5倍未満、希望する職種に就けるどころか、どこかに「拾ってもらえればラッキー」という感覚だった。

「努力すれば報われる」という言葉が、現実にはあまりにも遠かった時代。

それでもあの経験があったからこそ、

• 相手を見極める力

• 空気を読む力

• 自分を柔軟にアジャストする力

が鍛えられたのだと思う。

そして今、もし同じ状況にいる若い人たちがいるなら、

伝えたいのは、

「不器用でも、もがき続けること」

「失敗を恐れず、次に進むこと」

だ。

あの頃の自分にも、そう声をかけてやりたい。

【まとめ】

この記事では、就職氷河期世代として生きた私のリアルな就職活動体験を書き記しました。

何百社と応募しても結果が出ない辛さ、それでも一縷の希望にすがりながら前に進み続けた日々。

もがいた経験は、きっと何年経っても人生の糧になります。

この記事が、今悩んでいる誰かの励ましになれば、これほど嬉しいことはありません。

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