【就職氷河期世代のリアル④】文系学生がシステムエンジニアを志望するには厳しい時代だった!

就職氷河期

1999年――それは「就職氷河期」と呼ばれた厳しい時代の、まさに真っ只中でした。

この頃は、バブル崩壊後の経済停滞が続き、企業は新卒採用を大幅に絞り、学生たちは限られた椅子を奪い合うような状況に置かれていました。

私自身もその波に飲まれたひとりです。今回は、当時の空気感や学生の葛藤を、実体験を交えてお伝えしたいと思います。今の若い世代の方々にとっては、想像しづらいかもしれませんが、「あの頃、就活ってこんな感じだったんだ」と少しでも感じていただけたら嬉しいです。

ポケベルから携帯へ、ネットはまだ黎明期

当時の技術環境は、現代とは比べものにならないほどアナログでした。

ポケベルが主流だった時代から、ようやく携帯電話へと移行し始め、PHSという安価なモバイル端末も出回り始めていたものの、画面に表示されるのはせいぜい「電話番号」程度。メール機能もパソコンが無いと使えずノートPCやスマホ、WiFiなんてありません、連絡手段としてはかなり限られていました。

インターネットも、まだまだ全ての一般家庭にまで普及していたわけではありません。

「ホームページ」と言えば、企業や店舗の紹介が細々と掲載されているだけで、今のように情報があふれているWEB社会とはまるで違うものでした。Googleもまだまだ認知されておらず、「ネットで検索して調べる」という行為そのものが一般的ではなかったのです。

そんな中、ホリエモンこと堀江貴文氏によるライブドアのようなITビジネスが、徐々に注目を集め始めた時期でもありました。とはいえ、「インターネットがビジネスになる」という考え自体が、まだ一部の人々のもので、多くの学生にとっては縁遠い世界だったのです。

文系がシステムエンジニア?ありえないという風潮

私は大学では経済学部に在籍していましたが、情報処理にも興味があり、将来的にはIT分野に進みたいと考えていました。しかし、当時の就職市場では「システムエンジニアは理系の職業」という固定観念が強く、文系学生がその職種を志望すること自体に疑問を持たれることも少なくありませんでした。

今では、IT業界では文系・理系の区別はさほど重視されなくなり、多様なバックグラウンドを持つ人材が活躍しています。しかし、当時は「理系じゃないのにSEを目指すのはおかしい」といった雰囲気が蔓延しており、それが就職活動の障壁のひとつでもありました。

興味のない企業からしかヒキがない現実

そんな状況の中で、私が応募して面接まで進めたのは、大同生命やトヨタカーリースといった、比較的“文系寄り”の営業職の企業ばかりでした。もちろん、書類は通りますし、一次面接は突破できます。しかし、二次面接以降になると、どうしても自分の「興味のなさ」が表に出てしまい、結果として不採用。企業側もその温度感を敏感に察知していたのだと思います。

特にカーリースの営業職などは、将来的に自分のスキルを積み重ねて、キャリアとして年収を上げていけるようなイメージが全く湧かず、「この仕事をずっと続けていけるのか?」と疑問ばかりが先に立ちました。

内定が一切出ない文系学生でも、営業職なら受かる――そう言われたこともありましたが、それでも「これは違う」と感じてしまったのです。

周囲は内定、焦りと孤独

そんな迷いを抱えているうちに、周囲の同期たちは少しずつ内定を獲得し始めました。

大学を主席で卒業した友人は「洋服の青山」から内定をもらい、希望通りだったと笑顔を見せていました。私にとっては、アパレル販売が将来性のあるキャリアとは思えず、思わず「オマエ、正気か?」と口にしてしまった記憶があります。

また、頭の切れる友人が「トマト銀行」に就職を決めたと聞いた時も、驚きました。地元・岡山に戻って働くという選択は、その人にとっては自然だったのかもしれませんが、私は「みんな、世の中の先を見ていないのでは?」という焦りと寂しさを感じていました。

一方で、消防士になるという昔からの夢を実現させた友人もいて、イケメンな彼には「営業の方が向いてるんじゃ?」などと冗談交じりに話したものです。夢を持ち、そこに向かって一直線に進む人の強さを感じました。

就職を諦める仲間たち、スーツで出る授業

驚いたのは、仲の良かった学生の半分近くが「就職を諦めた」という事実です。

彼らの多くは“就職浪人”になるか、あるいはアルバイト・パートなど非正規の仕事へと進んでいきました。大学を出て無職、という現実は当時としてはかなり衝撃的で、優秀だった彼らが職に就けないということに、私はある種の「もったいなさ」を感じていました。

やがて彼らとは疎遠になり、情報も入ってこなくなりました。気まずさもあったのでしょう。

一方で私は、まだ卒業単位が残っていたこともあり、スーツを着て授業に出ていました。英語の授業にスーツで現れると、周囲の視線が妙に冷たく、「なんで今さら単位とってるんだ?」という空気が漂っていました。

6月に入り、気温も上がる中で、周囲からの冷たい視線と、仕事が決まらないことへの冷や汗で、背筋がずっと凍っているような気分でした。「これが“逆境”ってやつか……気持ちいいね~」なんて強がっていました。内心は焦燥感の極みでしたが、それでもまだ希望は捨ててはいませんでした。

終わりに:あの時代があったから、今がある

振り返ってみれば、あの頃の不安や葛藤が、今の自分を支える土台になっているように思います。

就職氷河期という厳しい環境に置かれたからこそ、自分にとって「働く」とは何か、「生き方」とは何かを深く考えることができたのだと思います。

あのときの仲間たちも、今はそれぞれの道を歩んでいることでしょう。社会の価値観も変わり、多様なキャリアが認められるようになった今、あの時代を生き抜いた経験は、決して無駄ではなかったと感じています。

就職氷河期世代としてのリアルな経験が、誰かの励みになれば幸いです。

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